リヨンに着いて最初の2週間。友達のいない生活。初めての一人暮らしは海外だった、、、

留学生活

 

 こんにちは。そにょん。です!

 私は2023年2月から4か月間、フランス南東部に位置するリヨンという街に留学していました。ドバイに寄り道した私は、そこで友達と別れ、一人でリヨン、サンテグジュペリ空港に向かいました。一人で飛行機に乗るのは初めて。以前友達とパリに旅行で言った際、1日だけ一人でフランス北部のカレ(Calais)という街まで行き、難民のボランティア活動に参加しましたが、その時のワクワク感とは全く異なり、不安でいっぱいでした。ドバイが温かい人たちで溢れていたからか、急に一人になったことで心の穴がぽかんと空いた感覚でした。

ドバイからリヨンへの移動。私の荷物。

 飛行機の都合上、友達と泣きながらバイバイしたあと7時間ほど一人で空港待機。真夜中だったので人も少なく安全ではありましたが、不安で仕方なかった私は一睡もできませんでした。飛行機に乗りこんだ瞬間、「留学の始まりだ。」そう感じました。本当に日本語の通じない世界に一人きり、CAさんですら日本語で助けてくれることなんてないのです。唯一気分が上がったことと言えば、ドバイから旅立ってすぐ、飛行機の窓からパーム・ジュメイラが見えたこと。

飛行機から見えたパーム・ジュメイラ

 ドバイに滞在していたものの、大きすぎて地上からしか見ることのできないというパーム・ジュメイラがものすごく綺麗に見えたんです。たくさん写真を撮りました。

 夜寝ないまま朝8時の便に乗りこんだため、パーム・ジュメイラを見て興奮した後は、到着まで爆睡しました。とりあえず自分のスペースが確保されている空間にいられるだけで安心でした。

ドバイからリヨンまでの機内食(エミレーツ航空)

 しかし、リヨンに到着して入国審査を終えた後、地獄が待っていたんです。約半年ぶりにフランスへ戻ってきた~と興奮したのも束の間。計35㎏のスーツケース2つを両手に、リュックを背負って空港を出発しました。リヨンに到着してからSIMカードを買う予定でいたのですが、私が到着したリヨン空港(サンテグジュペリ空港)は想像の何倍も小さな空港。SIMカードが売っているようなお店はありませんでした。空港の不安定なWi-Fiを使ってできる限り調べるも頭の中は不安でいっぱい。

サン=テグジュペリ空港

 空港からリヨンの街にはローヌ・エクスプレスとTGVを利用しました。

空港からリヨン市街への移動。ローヌ・エクスプレスの券売機

 荷物が多いだけでストレス。全てが不安でとにかくインターネットが欲しい。ケータイを触って安心したい。まるで携帯依存症のようですが、その時一番の願いでした。そんな思いで無事、寮の最寄り駅であるペラーシュ駅に到着しました。

ローヌ・エクスプレスの車内

 私は第一に寮に行って、入寮手続きをしなければなりませんでした。しかしその時頭がまわっておらず、寮ではなく学校までの行き方ばかり必死に調べていたんです。実際、学校提携の寮であったため、学校に行ってみればなんとかなるだろうとも思いました。地図のスクリーンショットをあてにしながら学校を目指して歩き始めましたが、ペラーシュ駅の出入口はとてもわかりづらく、何度も行ったり来たりを繰り返しました。

実際に私が頼りにしていたGoogle Mapのスクリーンショット

 やっとのことで学校にたどり着きました。しかし、学校の警備員さんに寮について尋ねてみたものの全くわからないと言われ、学校内の学生相談室のような場所に案内されました。そこにいた方も私が泊まる寮をご存じないようでしたが、地図を出して必死に説明してくれました。もう一度警備員さんの横を通ると、私を校内へ案内した後に調べてくださっていたのか、たくさんの情報を教えてくださいました。フランス語交じりの英語で。Merci(;_;)

 まだ不安だったので一度駅に戻って、目に入った掃除係の方に寮の住所を見せました。すると、しかめっ面で首を振られました。私はその時、1日先にリヨンに到着していた日本で同じ大学の先輩がSIMカードを買うのについてきてくれるとのことだったので、時間が押していることを連絡しなければならなかったし、寮にも到着時刻が遅れると伝えなければならなかったのです。それにもかかわらず、インターネットを手に入れることができるような場所は簡単に見つからず、もうすべてを諦めたくなりました。その時、今でも覚えている、駅員さん2人黒人の方が困り果てている私に声をかけてくださったのです。

SIMカードを持っていなかったので黒人の方が調べて写真を撮らせてくれました。

 彼らはここから歩くのは無理だと言いました。徒歩16分なら歩くよと思いつつ、案内されるがままにバス停へ行きました。私のスーツケースを持ってくれて、一緒に来てくださったんです。バスの運転手に寮の近くに行くバスを尋ねてくれて、私のことを運転手に伝えてくれました。スーツケースをバスに運び入れてくれて「Bye~ Take care yourself! 」と満面の笑みでいう彼らの優しさに感動して、何かあとひとこと言われたら涙出る、、、そんな感じでした。

 バスでのお金の払い方がわからず、運転手さんに聞くと「ça va(大丈夫)」とだけ言われました。口数も少なくあまり社交的なタイプではなさそうでしたが、お金を払わずに乗せてくれるなんて、、彼なりの優しさなのかなと感じました。日本では無賃乗車はあり得ませんね(笑)降りる場所も合図してくれました。

 徒歩16分の距離を真っ先にバスで案内された理由は明らかでした。寮は丘の斜面にあり、階段または坂道を地道に登らなければならなかったのです。駅員の2人は、私の荷物の多さを見て歩くのは無理だと判断してくださったのでしょう。優しい、、、(; _;)

 寮について、寮の設備や部屋を案内されました。私が泊まった寮は、少し歴史的な(?)建物でとても小さく60人ほどしか住んでいませんでした。キッチンは2つ。部屋には水道とベッド、棚が複数とバルコニー。トイレとシャワーはフロアごとに共同です。キッチン用品など貸し出し物の入寮時点検をするように言われましたが、ぶっちゃけよくわかりませんでした(笑)とにかく頭がいっぱいで(笑)私の部屋は1階ですが日本でいう2階。さらに中二階にキッチンがあったので実質3階ともいえる場所へ一人でキャリーケースを運ぶのに行き来しました。エレベーターはないので階段です^^;

 急いで荷物を運んだあと、先輩が待っているペラーシュ駅へ駆けつけました。

荷物から解放されて初めて撮った一枚。曇り空でした。

なんとか先輩と合流しわけもわからず携帯ショップまで着いていきました。無事にSIMカードを手に入れて、リヨンに到着したことを家族や友達に連絡しました。

携帯ショップに向かう途中、ベルクール広場に見えた観覧車。

 部屋に戻ってやっと安心して一人になった瞬間、大粒の涙が溢れ出ました。とにかく泣きました。荷物のせいで腕も疲れ、友達もいない一人きりの空間が本当に寂しかった。

 そこから2週間、授業が始まるまでの間ほとんど一人で過ごしました。とにかく外に出るのが怖くて最初の3日間は部屋に引きこもり。共同キッチンに行くのもビビッて初日に買いだめしたスーパーのパン・オ・ショコラとりんごジュースで過ごす不健康な生活。なくならないように大事に食べてました。日本から持ってきたサトウのご飯やカップラーメンも食べたくて仕方がなかったけど、共同キッチンにお湯を沸かしに行く必要がありました。恐る恐る足を踏み入れ周りの様子を伺いながら最低限のことだけ済ませて部屋に戻るんです。シャワーもできるだけ早く済ませ、汗もかかないからシャワーを浴びない日も全然ありました(笑)

水道から出るお湯で作って食べることのできたおにぎり。しっかり沸騰してないお湯なので少し固め、、汗

 まる3日間そんな生活、、、ふとした時に寂しくて涙が出てくるんです。日本にいる妹や彼氏と電話をして元気づけてもらったり、サブ垢でインスタライブをして友達と話したり。それが唯一の救い。これからの4か月とてもじゃなく生きていけない。そうとしか思えませんでした。

生きていくのが不安すぎた私は着いて間も無く帰りの便を予約しました(笑)

3日経ってやっと外に出る勇気が出たんです。これから自分が生活するリヨンに着いて知ってみようと思い、一人でリヨンの街を探索しました。

私が滞在した寮の外観。

旧市街を歩いたり博物館を訪れたり、まるで観光客かのように。外に出て歩いているとなんとなく気持ちが楽になりました。日本語が聞こえるとなんだか安心してつい声をかけてしまい、何組か仲良くなれました。その時に偶然、仕事でフランスに駐在することになったという夫婦が日仏交流ができるカフェがあることを教えてくれました。それもまるで奇跡。その方との出逢いに感謝です。

リヨンの川は本当に綺麗。
ベルクール広場
フルヴィエールの丘から見たリヨンの街並み
旧市街。リヨンで有名なギニョールのお店。
『星の王子様』を書いたサン=テグジュペリの故郷であるため星の王子様のグッズもいっぱい。

 同じ大学から来た先輩とお互い孤独死しそうだということで、夜中に寮のリビングでゆっくり話しました。日本では大学のキャンパス内で1回会ったことがあるだけだし、留学先であまり関わろうとはお互い思っていなかったんです。留学は一人で体験するものだと勝手に強く思っていたもので、、、その考えも日本へ帰るころには変わっていました。また詳しく話していきます。

 リヨンでの生活に慣れることを目的に過ごしたはじめの2週間。自炊を始めました。丘の上にあるスーパーまで買い物に行き、母に電話して相談しながら鍋や包丁など、キッチン用品を集めました。日本では全くと言っていいほど自炊をしないし、寮とは言っても初めての一人暮らし。普段どれだけ人に支えられて生きているか身に染みて感じました。

鍋の大きさを決める際、母に送った写真。

 2週間経って、いよいよ授業が始まりました。初日は全体でオリエンテーションがあり、予め実力テストによって分けられたクラスに移動して自己紹介。緊張して縮こまるのはやめようと軽く決意し初めての授業に参加しました。クラスにはいろんな国の学生が集まり見た目も年齢も母国語もバラバラ。

学校の入り口

その日授業を終え、寮の共同キッチンへ行くのにも少し慣れた私に、韓国人の女の子4人組が声をかけに来てくれたんです。存在は知っていたけれど韓国人同士で固まっていたため話しかけるなどできずにいました。インスタを交換し、その日の夜、リビングで話そうとそれまでほぼ一人ぼっちだった私を誘ってくれたんです(;_;)それが全ての始まりと言っても過言ではありません。この子達が声をかけてくれてなかったら、私は最後まで一人ぼっちで孤独のまま留学生活を終えていたかもしれないんです。本当に心の底から感謝しています。

韓国人の女の子4人組と仲良くなって初めて一緒に行ったカフェ。みんなでシェアした♪

そんな彼女たちが私につけてくれた韓国語での名前が「선영(そにょん)」です。

 リヨンに着いて最初の2週間、なにもかも初めてでドキドキの生活をなんとか終え、私の最高に楽しい留学生活がいよいよスタートしました、、!!!

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